"僕はしばらくふたりの前で、
赤ん坊のように、
獣のように泣き続けた。"
ネタバレをしているのでご注意ください。
映画は観てない。
子供のいない夫婦。
どちらの両親も健在。
という私の感想。
お金お金お金お金お金。とにかくお金の話。
浩輔はサラリーマンで月に10万恋人に払うのは、気ままに贅沢していた以前に比べるとどんなに大変か分かる。でも出来ないわけじゃない。デパ地下で1万前後の食材を買って渡すのもただでさえ心許ない生活費なのにそれってかなり負担なんじゃないだろうか?
でも出来ない額じゃない。
物語の中盤まで、とにかく全員に対して気持ち悪いなと感じてた。
出来なくはないけど無理をしてスマートにお金を払う浩輔。
無理をしながら彼のためにデパ地下で食材を買い、自身はカップ麺を食べることを少し誇らしげにも感じる。
ありがとう!ありがとう!ありがとう!ってお礼を言いまくる龍太。
ありがとうごめんなさいお化けかよ。って思う。言うはタダ。
息子がどこからお金を持ってきてるのか知ってか知らんかの病気の母。
そこまでして生きたいんだ?ってなんと頗る意地悪く思ってしまう。息子が身体を売ってまで生きてその先に何かあるの?全く生き汚い。
(こう思う事に嫌悪を抱く人もいるかもしれないけれど私は私の頑固な死生観がある)
全員が何かに蓋をしてみないように振る舞っている様に気持ち悪いと感じる。
お金がたくさんあったならね。それだけでいいのに。
好きな人にそんな事できるのはやはりすごいと思う。
稼いでこれる金額の中からそれだけの割合を渡せるのはすごい。それは即ち、愛の金額、愛の重さだと思う。口だけ愛してるーとか言うのはタダだから価値がない。
とかなんとか思ったけど、自分の親が病気でお金がないなら、旦那は払うだろうな。夫婦だから。愛じゃなくて義務だし内心悪態をつくと思う。私も親に悪態をつくと思う。
こんな生活は破綻しそうで破綻しない。
いつも疲れてる龍太。職種を選べばいいんじゃね?と思うけど学歴のない彼には中々難しいのだろうか?
そして龍太が死ぬ。
あ、死んじゃうんだ?
死ぬんだね。人の死で泣きを誘う物語なのか。これは。お金と恋人の死か。なんとまぁ。ってちょっと斜に構えちゃったりした。
……が、ここからここからがこの話の始まりやったんか。
浩輔は自分のせいだと自分を責める。確かにそうであるしそうではない。
断頭台の刃のかげにおいたのは、ぼくだと思えてどうしようもない
そう思って嘆くのは、すごく悲しいのだけれど、悲劇の主人公をすり替えているようにも見えて、やはり彼はそーゆーところあるよな…と感じる。
龍太の母との対面、私の底意地悪さがピークになる。
さて?息子を死ぬまで働かせた死に損ないの母はなんて言うんだろう?
そう思うとウキウキすらしちゃう。
龍太の死後も断りながらもお金を受け取る母親にもうおぞましいな。人間ここまで生き汚いと。
ところが一緒に暮らす提案を浩輔にされ、断る母親。
生活保護、もっと早よから申請しとけ〜〜!!!!
浩輔も楽になってよかったね!なんて思ってたんだけどここからね、物語がすごくカラフルになるんだな。
お金を出す貰うがない、なんの損得もなく2人は会う。
料理を作り、一緒に食べ、龍太のことを語ったり、悪口で笑ったりする。
今までの母親への悪印象が溶け出す。
浩輔の罪だと思っている部分も洗い流していくみたい。
入院後の今際の際はこちらの感情も昂ってるし時間がない!と浩輔が焦っているのもあって生きて、もっともっと生きてと願うのをやめることができない。
なんて!自分という!軽薄すぎるエゴイスティックなんだろう。
なんで生きるの?と罵っていたくせに。
母と思う糸、息子と思う糸、亡くなってしまった母や息子、咆哮をあげる父、そして浩輔、中学時代の知能の低い同級生、オーブンレンジ、親身になった友達その全てのしょうがない糸がよりとなってもうたまらないよ。
死後の世界などない。そう私も思う。
太くなった糸のよりでどうか浩輔は生きていってほしい。大き過ぎる喪失も、喪失と共に昇華された母への罪悪感もすべて後手で背負い前を向いてほしい。
願わくば、愛を与え過ぎる彼だから、溺れるような愛を注いでくれる人に出会ってほしいと思うのだけどもそれもまた私のエゴ。