"ばけものが去った………"
ノンセクシャル、アセクシャルということをほぼ無知で過ごしてきて、BLを読み出してからというか昨今のLGBT圧の風潮で知識として知っている。という私の感想です。
LGBT圧という攻撃的な言葉を使うのは、もちろん差別しているわけではなく、あああーーーー!!!!差別してます!この人!無理解!多様性なんですけど!っていう声の大きい人に怯えて暮らさねばならぬと感じてしまうから。
誰を好きになろうと好きにならなかろうとどうでもよいし、誰しもが結婚を望めば出来る世の中が当然の当然。
分断しているのは誰だろう?
なにやら、この御本の表現に傷ついた人がいて、先生が釈明文を出されていたようで。
読んでみても何が誰を傷つけたのかよくわからないし、レビューをみても概ね高評価である。
ただ、この人の読み方は違うのでは?と思うことは多々あったので、その読み方、感想はなるほど誰かを傷つけると思う。
そして、この御本について否とした人のブログを読んできた。なるほど。
そして今から書く私の感想もまた誰かを傷つけるかもしれない。ノンセクシャルについて無知だからという言い訳は誰かを傷つけていい理由にならないから間違えていたなら指摘してほしい。勉強したいので。
レビュー感想の中でこれは良くない。としたものは
「だんだん慣れてきて仲良くなれてよかったね!今後に期待!」
これは良くない。本当良くない。
もちろん慣れてなんかないです。いっきくんは嫌なんだから。今後も何もないです。習い事じゃないので。
そして勝手に人のブログを読んでここであーだこーだいうのもすみません。なんだけれども
いっきくんが嫌にも関わらず性的な行為をすることは性暴力である。
これもまたそんなおおげさな。と思ってしまう。
もちろん恋人同士による同意のない性行為は性暴力であることは間違いないのだけれども、彼らのそれは違うのでは?
まず、恋で人は死ねると確信するくらいに好きな恋人であるのだから、性的な行為が終わるのを耐える。確かに辛そうだし、自身に性欲をぶつけてしこしこしてくる恋人を"ばけもの"だと感じる。
だけど喜ぶことをしてあげたい、うれしそうにしているのはうれしい。
性欲まるだししている姿をみたくない、なんだかみっともなくて変だけど、それが他人に向くのはもっと嫌だ。
こんなことを嫌がってみんな平気なのに自分だけ出来ない欠陥品だ、いやそうじゃない。といういっきくんの葛藤は、ノンセクシャルの内面がよく理解できた。まぁいっきくんはノンセクシャル代表です。って訳じゃないからいっきくんの内面がよく理解できた。
飲み会みたいなので、
ノンセクシャルのいっきくんに
「え?まだそれ言ってんの?
ほんとに好きな子出来たら世界が変わるよ」っていう女の子。
これ、ほーんとどんな話でもそうやけど、何故あんただけ全能みたいな事言えるんだろう?
だいたい同じくらい生きてんだから、君が分かることは私もわかる。ただ嫌なものは嫌だし選択権は自分にしかないのにね。
もしかすると自分のペースで行うことは嫌悪感が少なくなるのかな?そしてあんなに喜んでくれるならね。いっきくんは確かに無理をしてるんだろうけど、誰かと生きていくのは我慢や妥協が必要なんじゃないだろうか?それを暴力としてしまうのはあまりに煽動的なんじゃないかな。
性的なことだからそう取り立てられるのかな。
嫌なことはいや。ここまでならいい。約束したことを守る。相手のためになにか喜ぶことをしたい。してあげる。
相手のことを100%理解するなんてことはどんな間柄であれ不可能なんだから、思いあって関係を構築していってるんだ。という物語の終わりで本当によかったと思う。
ところでさ、まぁこんなこというとそれもまた人それぞれなんやしさぁ、ノンセクとはそーゆーんじゃないんやしさぁ。って話やねんけどさ、ジジババになったら性欲なんてほとんどなくなるんじゃない?まぁ旺盛な人もおるか。
私の話にしよう。私はばばあになってじじいとなった旦那氏とセックスしましょうなんてならない。もしそうなったら嫌です。だからといって愛してないわけじゃない。手を繋ぐのはいい。みかんは剥いて口に入れて欲しい。
みかんを丁寧に剥いて口にいれてくれるなら、ちんちんを入れられるより愛を感じる。