"怪物と人間
所詮住む世界が違う…
ってことなんじゃないですかねぇ"
終わりの美学。
終わりをしっかり見せてくれるの。セックスの。
終わりがちゃんとしてないのはなんかこそばゆい。
音楽でも終わりをきっちり見せてほしい。
同じフレーズがちょっとずつちょっとずつ小さい音になっていく曲、嫌やねんな。
終わりをバシっときめたれ!って思う。
始まりはどこでもたくさん見られます。
いろんなパターン。私も履修してます。
キッスからの〜とか、酔って〜とか、もう性欲爆破しちゃってから〜とか、マッサージしてて(大好き)とか。
じゃんじゃんどんどこセックスした後、後処理等見せてくれるお話もあるし、イチャイチャするのもよし、ふわっと画面展開してるお話もある。
友達同士でセックスして、終わって、お腹空いたからピザ取ろうとか、終わってまたごそごそ始まったりとか2人きりの狭い狭い部屋の狭い狭い交遊関係。
そういったダラダラした感じ、好きなんだ。セックス、食う、寝るしかしない感じ。
帰る時にはきっちりお見送りしてくれるし、2人の時間の終わりを見せてくれるのが、2人の関係は今日で終わりじゃない安心感をくれるの。
お見送りをしなかったときは朱巳が姿を消した時だね。きっちりお手紙あるんだけど。
愛おしく思いあってる2人が南国の沖縄で結ばれる。
そして幸せに暮らしましたとさ。というハッピーエンド。
ねぇ、コマはどうなったの?コマ。
寝る前に童話を読み聞かせてくれたコマ。
優しいコマ。
まだ10代なのに自分の境遇を受け入れて何年も刑務所に入るコマ。
優しいコマ。
賢いコマ。
刑務所から出て来たって朱巳はいない。沖縄だもの。ハッピーエンドを迎えた王子様は怪物となんて一緒にいない。
親もいない。友達も。誰もいない。誰も本当に、自分を大切に想う人が誰も、この地球上に1人としていない。
ヤクザがなんだかんだといっても朱巳のそれは所詮、家族、学校、友達、仕事、全て持ってる。捨てる選択だって出来る。
でもコマは?コマは何かを望んで何かを捨てられるの?
ゲイで悩んでる丘くんも、ヤクザというはみ出し者で悩んでる朱巳も、ヤクザ街道まっしぐらのおじさんも、ゲイライフをエンジョイしている駿河くんもみんなみんな人間。
コマだけが唯一怪物なんだ。たったひとりぼっち。
お伽噺の人魚姫のように声を奪われ泡になっちゃう。
人魚姫はどうして人間になる為に声を失ったの?自分をちゃんと主張しないとやっぱりいいようにされちゃうんだ。人間の顔した怪物に。