"月までだって迎えにいくよ"
気負いなくあるがまま至極当然にそう答える天羽。
えらくロマンティックなセリフに聞こえるけど現実的にそうするからそう答えただけのことだから尚更天羽にとってのジョゼの有り様が分かるゾクっとする一コマ。
新井煮干し子先生、今朝初めて読んだんだー。どの作品のキャラも個性的で夢中になっちゃった。えへへ。
なんだろうね?一見して分かりやすい話じゃないやん?
読んでる間中、居心地よくて。どの作品も。
1番の特徴は、まぬけな正論を言う奴がいない ってことかもしれん。
正論、つまんないよね。特に狭い交友関係の中でわざわざ正論を口に出して言うのって何か資源無駄にしてない?っと感じる。
たまにそういう無駄を見たくてニュースサイトのコメント欄とか見るんだけど、おるおるいっぱい、いちいちいちいちわざわざ、そんな誰しも分かってる事をしたり顔でコメントする人。なんやろね。あれ。
あ、また悪口いってしまってるー。
天羽の愛し方、ジョゼの求める愛され方、ちょっとずつ違う。
天羽はそんな事微塵も気にしてないんやけど、与えられる側のジョゼは気になる。
美しくなくなった時は?
何故もっと求めないのか?
自分が望んでいるのに何故部屋に入れてくれないのか?
先生があとがきで信仰の話を書いたっておっしゃってて、なるほどそうやな。
人は勝手に神に祈るけど、神のすることには無責任だもんね。
ジョゼはモデルで名前をたくさんの人が知ってるし、容姿も消費されジャッジされる。
なんかすごくこう、コピペで量産されるイメージやねん。大量コピペ。
ジョゼを見た人、見た回数分コピーされる。もう無数の誰かのジョゼがいるわけやねん。
私も見たからまたコピペされたし、天羽に至っては、中学時代からそらもうどんなけコピペしたか分からん。
天羽はその全てを絵に残そうとする。コピーのかけらも失わないように。
コピーいうて、それは各人の眼球通してコピーされる訳だから本人そのままじゃない。見たい部分を切り取ってコピーしてるねんな。
だから、絶対に、ジョゼに絵を見せるわけにはいかないのだろうね。
だって、それは天羽だけのジョゼであって、ジョゼだけどジョゼじゃない。だけどジョゼ。
最後、ジョゼは改名する。
本名だとファン(すごくミーハー)は噂するけれど、それは本名じゃないんだろうね。
ジョゼはジョゼ。ジョゼがジョゼを見せるのは天羽だけにしたのだろう。
ジョゼを構成する全ての因子を尊び愛していることをなんのてらいもなく、呼吸のように、それが世の理であるかのように振る舞う天羽。すごく勝手で、なんか大きな木みたい!
大きな木だから、剣もきっと傷を見せたんだな。