"ももは今日 わらしべ長者のようだ"
"今の 兄ィと居る俺は…
ずっと"しあわせ"に生きてきた子ぉに 見えるんや
順風満帆に… 生きてきた子ぉに…
なら ええこっちゃ…"
好きな言葉が多くて選べない。
セリフ回しが難しいと聞いてたんやけど、すぐ馴染んで、特に上方の言い回しは、そのリズム、間の取り方、ひらがなとカタカナの絶妙な使い分けで難なく音をつけて脳に流れ込む。
音楽が好きなせいかもやけど、文章を書くときに1番気にするのはリズム。
淀みないリズムと音を1番大切にしてるつもりだからこのブログではそこを気にして書いてるんやけどなかなか上手くいかないや。
しかも今回は百と卍を読んだその余韻で書いてるからその空気感とリズム感を引きずってるかもしれん。
この物語と先生の1番好きな所は、"余りがある"ところなの。
余りは豊かさの象徴。
即物的な豊かさではなく、観念的な豊かさ。
余りのある美しいものが昔から本当に好きで
例えると、
ヨーロッパの床を存分に引きずる緞帳のようなカーテンとか、お寺の天井に描かれる伊藤若冲とか、金閣寺とか。っていうとかなり即物的だけども。
先生のあまりの画力による遊び。
そして言葉遊び(言葉遊びだいすきなの!)
四季折々の行事を丁寧に楽しむ江戸の市井の人々とももと兄ィ。
そして四季を私に教えてくれる豊かな背景。
安寧と市井の人々が暮らしていた江戸の情景を先生の画力と構成によって感じさせてくれるから、
俯瞰ではなく、わたしも江戸を今生きている錯覚さえ覚えるの。
映画を見てるより一層、塗装されてない土埃の舞う夏どきや、芯から冷える長屋の中の綿入のした色とりどりの着物の乱れた様。
このお話はちょっとしたことがあったとしても基本二人の平凡ともいえる生活を淡々と色鮮やかに魅せてくれてるよね。
過去には二人とも色々辛いこともあったけど、今は幸せ。
情緒がない言い方だと、サザエさんのようやねんな。
二人はただ暮らしてる。懸命に。生きにくいことがあってもなんとか解決して、そうして平凡な日々を、季節を楽しみながら、一般のただただ普通の人として生きてる。
だから私すごく胸を打つねん。
孤独で息ができないくらい苦しみを舐めた兄ィと、
ぽよぽよ泣いて自分ではどうしようもなかった少年時代を過ごしたももと。
他の御本では、男だから好きになったんじゃなくて、この人だから好きなんだ。っていうものも多いんだけど、この物語は違うんだよね。
男が好きだ。っていう前提が大きくあって、そうして二人が出会ってるところが、ゲイの心得みたいなものを前より少し多く理解した気になったよ。
ほんとうに大好きな御本になったから、おすすめしてくれたFFさんありがとうね。
ゆっくり読んでね。ってほんとうぴったり。ゆっくり読んで贅沢な時間を過ごしたよ。
勝手なBGMコーナーですよー
映画の主題歌を勝手にBGMにするのは少しあかん気がするでもないけど、黒澤明監督ですね。
私の聴いていた どですかでん は
こっちの方なんだけど、もうAppleミュージックにないねんな。
ブルーのジャケに比べて、ご紹介した方は、リズムもゆっくりで音がたくさんで華やかになってるから、百と卍には新しいどですかでんの方が合ってるとおもうんだよなぁ。
本当に素敵な曲で、日々を慈しみながら生きる二人にぴったりだから是非聴いてみてほしいな。
そうそう、この御本で「余り」を特別体感できるところは、貴重な卵を潤滑油にして使うとっても艶めかしいシーン!
贅沢な無駄遣いで、色っぽくて、汚れるのも厭わないのが、最高に「余り」