"喜びも悲しみも共に"
夜ふかシーモアでFFさんがあげてるのをお見かけしたりして表紙タイトルは知ってたんだけど、爽やかほんわかBLかな〜ってスルーしてて(毎度)まぁポイントもありまくるし読んでみようかな〜って読んだよー。
よかったな。自分が良かった作品の低評価レビューをみてしまう悪癖があるんやけどいちいち反論したくなるねんなぁ。
その中でも高校生で白線遊びしてることが幼稚で無理って意見書く人可哀想やよなって思う。頭の中は完全に自由であるのに年齢によって空想を変えないといけないなんてことを思うことこそ何とも貧しい。
そして遊びは真剣にやらなくちゃ楽しくないしね。
晃と夕希は白線遊びを真剣にした
絶対落ちないようにクルッと白線の上でダンスをした
毎日した
白線の先で会うのを楽しみにした
そうして小さいキスをした
その頃は晃も夕希も同じく空想で遊ぶ10代であったはずやのに社会人になると少しズレる。
晃は普通に(普通に)働く。普通にって変な言葉やけど、普通に働いていると周りの人も普通で、自分は普通とちょっと違うかもって思い出す。
夕希は会社を辞めて脚本の学校に行くと言う。何ら普通やと思うけど、晃にとったら普通じゃない。少し眩しく見えたり置いていかれるような感覚もあったんやろか。
でも普通に見える人も本当は色々隠したりして普通を装ってるだけやんな。正真正銘普通って何を基準に普通というのか知らんけどおらへんのとちゃうかな。
何かしらあるやろう。
そやけど晃は普通じゃない未来に希望がないから別れると口では言いながら、表ではそういう標語を貼りながらも、本当はあんまりにもあんまりに夕希を愛し過ぎて怖くなってしまったねんな。
晃には2人の線上は酷くもろく見えてしまった。現実は重く大変であるべきだから、軽々しく2人で一緒にいれるわけなどないんやと。
きっとどこかで線が切れるはず。そうなれば自分は廃人になるだろうというなんとも先走りで別れを切り出す。
この別れを切り出す前の空気感嫌やんね。胸が苦しくなる。
そうして、別れて何年も経って、妻のいる家に帰ろうとしても立てなくて朝日を浴びての嗚咽は、まぁ、あんたは苦しみなはれ。と思った。
人生長いけど、心の底から本当に本当に愛してる人なんてせいぜい1〜2人ちゃうんやろうか。(私はもちろん菊池)
その1人を、大切な夕希を一方的に切ったのだから目ん玉飛び出るくらいは泣きなさい。
穂香さんもまぁ迷惑な話やけど、さっさと退場してもろて。
別れる直前に話していたアラスカ旅行。
また低評価レビューからの抜粋になりますが、日時もぴったり合うことなんてあるー?有り得んしwみたいなこというてましたけどアホやなぁw
あるねんて。
さっきも言うたけど、人生で本当に本当にこの人と思った人とは何度も偶然に出会うもんやねんて。
恋人でも友達でも。
そもそも思考や行動が似てるから惹かれ合う部分もあるわけで、そんな偶然があるねんて。
まぁ、オーロラを見る時に出会うんじゃなくて、成田とか税関の所でもすでに出会いそうではあるけどそこではお互いよそ見してよう!オーロラですよ。
夕希がオーロラを見にいこうと言った時、きっと晃は突拍子のないことを言う、なにもこいつは現実を見てない。いつまでも夢の中で楽しく生きてるんやと現実との乖離が別れ話を切り出す一手となったんやと思う。
そやけど、オーロラ、見にこれるの。
休みをとって飛行機に乗れば現実にアラスカに行けるの。
何も難しいことないし、突拍子のない空想でも何でもない。
ただ望んで行動すれば手に入る。そのことが具現化した後の「愛してる」のシーンは本当本当本当よかった。
その後の2人の生涯、よかったなあ。
いつか死ぬ。死ぬ時に笑顔で、悔いのない、ただ2人。いい人生やんね。
そこからのワクワク顔の夕希の笑顔、かわいいよね。あのまま大人になって少し晃のせいで曇った日もあったけど、それも愛しい人生の一部だもん。