3ヶ月連続で上中下巻が発売されて、月の半ばに発売されるから、ああやれやれまたあの話を読まなあかんのかいと少し気が重くなるほどの外道なんすね。
寅蔵への加虐が凄まじく、その容赦のなさは身体への暴力と恥辱の限りを尽くした環境。
私自身はSMというものが理解できてない。
SMのSはサービスのSなどという甘味料みたいな意見には反対だし、万が一そう思っててもこの御本を読んでたら直ちに考え改める。
こちらの作品で田亀先生はフランスのサド賞を受賞したとのことでなるほど納得も納得です。
マルキドサドについては澁澤龍彦の語るマルキドサドしか知らず(充分か)、悪徳の栄えもぱらっとしか読んでない。(なんと悪徳の栄えがアンリミにあるよ!アンリミやで?それなら澁澤龍彦のサド裁判っていったいなんやったんやろう…)
私には極端な加虐趣味も、被虐嗜好もないから、単純明確に、かわいそうやろ!!!!!!って感情で読むのが辛かったねんな。
寅蔵は痛ぶられ(そらもうありとあらゆる痛ぶられ)ても勃起をしてるから何となく救いになるんやけども、涙を流すのね。まっすぐ前見て涙をだらだら流すの。だからやっぱり辛くなるし、SMの面よりも周りの人間の残酷さが際立つんやよな。
一見善良そうに見えたり善良とはいかないまでもまま普通の倫理観の持ち主そうな人々が、痛ぶられてる寅蔵を目にするとこぞって下にみて痛ぶるその構図が外道やねんな。下働きの女まで、偉そうに!なんて思う私もまたそうなんやろうか。
かわいそう、かわいそう、なんてひどい。ってずーーーーーーーーーーーーーーーっと読み進めてたんやけど3巻でなんだか、そうか、寅蔵。寅蔵にとって嫌なこともあったかもしれんけど(側から見ると嫌なことしかないやんってなるけど)、かわいそうかわいそかわいそうやめてあげてってずっと言うててごめんなさい。寅蔵の人生をずっとかわいそうだというてごめんってなったねんな。
"あの家で何があったのか!"と大介に問われた時、何があったどころの騒ぎじゃねーよ。って思ったけど、あの寅蔵の目が、なんかこう長い時を経て達観してるような、全てを受け入れる菩薩のような、諦めを常としてる阿呆のような、なんとも哀しみの目で、かわいそうだとその一言で寅蔵の人生を評するのはなんとも薄っぺらぺらでごめんなさいってなったん。
ラストの数ページ好きやなぁ。
あの家で無ければ、"さん"付けで呼ばれ、好きなものを問われる寅蔵であること。
字がちゃんと読めること。
そして笑ってること。
上中下巻、息をするのもなんだか苦しくなっちゃう閉鎖的な空間での人間の狂気の内臓みせられる気分。最高に気分は沈んで、最高な読書時間やった。