BLを読み解きたい

なんでこんなに好きなのか考えたいだけ

君ありて幸福 感想と考察とネタバレ

"そこそこ広さのあるベランダ付きなのに出られないようになってる窓

一体なぜ…?"

 

先生の後書きの言葉。

一体なぜなんだろうね、分かんない。

窓にはいつもカラスがいていつも2人をみてた。

 

 

 

未読の方はここから先は読まないほうが楽しめると思う。読んだ人は一緒に答えのでない答え合わせを楽しもう。

 

 

 

 

 

 

不思議がいっぱいなお話。

1番不思議なのは環の家族。

大学で一人暮らしするまでの実家は

祖母

の3人で暮らしていた。キーとなる母親は環を出産時に亡くなった。

父1人で子育てするのも大変だから祖母がいるのだろうけど、この祖母は母親の母親なんだよね。父親からしたら義母なんですね。そんな3人で暮らすのか?

気使わへん?

祖母は娘が亡くなった事を思いっきり引きずってるし父親はそんな義母と子育てできるのかな?なんか歪じゃない?

 

環は大切に育ててもらってる。環を責めるような描写は一切ない。ただ環は勝手に出生時を罪に思う。

そうしてなんだか勝手罪悪感から周囲の頼まれ事をなんでもきいちゃう子になってる。

頼まれるの好きって訳じゃなさそう。ほら頼まれるの好きな人っておるやん?そういう人って頼まれた事以上のことしてくれるやん?気が効くしかっこいい。

でも環は違う。頼まれたら淡々とするだけだから、喉が渇きそうなもんばっかり置いてる屋台も飲み物の心配とかしない。頼まれてないし。別に。

 

佐久間さん、多分そんな描写ないけど、いいとこの子なんかな?お金持ちの。ちゃんとしたお家の子っぽい。お金困ってないいうてたし、髪型はちゃんとしてるのにチャラチャラした服に合ってないのは元カレの服だから。

なぜ元カレと駆け落ちしなければならなかったのか作中何も説明はないけれど、チャラチャラした無茶苦茶なセックスする男との交際を反対されたんやろうか。

イケイケどんどこなキャラは元カレの模倣かもしれない。

それは謎のまま。

餓死してやろうと思うくらい想った相手であることは事実。

 

 

人生には自分が自分じゃないような、自分はこういうものやと思い込んでいたものがパンっと急に決壊する瞬間があるんだと思ってるの。

それは一瞬かもしれないし何年にも渡って徐々に露わになるかもしれない。

すごく不幸で辛い時にやってくるのかも知れないし、幸せというのを物凄く感じた時なのかも知れないし、何も起こらない平坦な日々のある日に来るかもしれない。

こういうふわっとした人生論を語っちゃうのん恥ずいんやけどこの本読んでそう思い出したから仕方ない。

 

悪魔っぽい羽が2人の間を行ったり来たりする。

どちらに今、羽が有るのかを光や影で描写していてとても良い。

 

ゴミがどんどん溜まる2人の部屋。

ゼラニウムは美しく咲いてる。

ゴミがどんどんどんどんどんどん溜まる様子は一見、2人心の澱を見せつけているように見える。セックスばかり(しかもなかなかの危ないセックス)、学校もさぼる。ゴミも分別せずに部屋に積み重ねる。

ただゼラニウムは美しく咲いてる。ということはゼラニウムの世話はしているということ。

お花を育てた事がある人は分かると思うけど、お花って相当気をかけてあげないと枯れない?わたしだけ?

このお話の中にはカラスがキーとなっている。

 

そして大事な事は冒頭にある。

"左右ゆうんは人間の中の多数派がそう思っとるから存在しとんのや"

 

自分の見たものの本質がそのものの正解とは限らない。ということなんやろうと思う。

 

 

カラスの不思議なナニカで2人の間を行ったり来たりする悪魔の羽(利便として悪魔の羽っていうとく)

 

カラスはゴミを厭わない。

 

ゼラニウムは美しく咲く。

 

優しそうなセックスをしそうな環の暴力性。

 

汚いお部屋だけど洗剤を買い物にいく環。

 

佐久間がふざけて口にした"赤ちゃん"のワードで環の背中に羽が生える。

環の精神がおかしくなるというか環にはその一連の儀式が必要やったんやろうね。多分。イカれてるし、人形はゾッとしたよ。アレどっからもってきたん?元々持ってるわけないよね?買ったの?ゴミから漁ったの?なに?どこで入手したんだろう。

 

 

 

最後、遠くに飛んでいく無数のカラス、いいシーンだなぁ。

 

とびきりとびきりなんか無茶苦茶不幸なことがあるわけじゃない2人なのに、ちょっとした心の澱みをなかなか結構ハードな事で禊ぎをする。はなから別にそんな禊ぎをせんでもほっといてもそれなりに生きていくような2人なのに。

そんな2人をちまちま救うのってカラスっぽいなぁ。

 

 

 

さて、どうしてあの窓はベランダに出られないのだろう。

ベランダがあるからといって、必ずそこに出なければならない、ということではない。ということなのかしら?哲学的やな。