百年続く寂しさの
五十年分俺にくれますか?
帯に「大号泣!」ってあるね。
大号泣なんて全然したくないし、幼馴染が自殺するところから始まるのかー。
人が死んで悲しいのは当たり前で人の死で泣きを誘う話は単純で嫌なんだよな。なんてまたイキがって敬遠しとったねんな。
よくよくあらすじみたら、幼馴染の葬式の日に、幼馴染の友達とセックスしたと。
へー、異邦人みたいな感じなんやろか?って俄然興味が湧いてきて読みました。
私はすごく気に入ったな。この御本。
若くして自殺した。
明るい人柄でなぜ自殺したのか生前を知る人達は分からない。
謎めいた東京からきた幼馴染の友達。
葬式では淡々と自分の役割を演じ平然を装っていたけれど、悪夢をみて強烈な喪失感と共に目が覚め、夢の続きのそのままの喪失感で感情を剥き出しにする。そうしてセックスするって至極当然の流れのように思うな。
異邦人でも母親の葬式にでたその日に、女の子とギャグ映画をみて笑ってセックスをしたことについて他人に糾弾されていたけれど、大切な人を失った悲しみの中にある時にはセックスしたらだめなの?
では何日経てばオーケーなの?
2週間後くらい?49日?半年?
そろそろ半月経ったしセックスでもしようかなーって方が不義理な気がするなぁ。なんとなく。性欲は人それぞれだし、セックスに対する意識も色々だからまぁ嫌悪する人もいるんだろうな。
思いっきりセックスをし、眠り、翌朝、実くんは昌典くんにたくさんの朝食を作ってくれる。
これってまさに、「生」だと思う。
生きてるってそうしなきゃいけない。
悲しくて寂しくてもう立っていられない時はしっかり食べて生きなきゃいけない。
だから2人はいつもたくさん食べてる。
たくさんセックスもするし、二度寝するくらい寝てる。
死んでしまった慎太郎。
なぜ死んでしまったか。ということは作中何も明言されていないんだよな。
実くんが死にたかった理由はしっかり描かれているけど。
それがいいとおもう。
母親が、慎太郎は昔から脆さがあったって言ってたくらいかな?
ただ、慎太郎はふわふわと死と日常的に戯れてる感があるように思ったな。
特別なにかしんどいことがあるわけじゃなくて、人よりずっと死の近くで片足ケンケンしてるような人っておるやん。
誰にも何にも未来にも期待せず、ホテルで暮らして、さて、レンタカーを借りて練炭でいっときましょか!っていう死への軽さ。
死ぬ日を決めた途端、生が輝くということを知った実くんは死ぬ事を躊躇し始め、慎太郎にも死なないでほしいと期待しだす。
ネットの記事で読んだからあまり信憑性がないのだけど、スイスかどっかに安楽死を請け負う会社があるんだって。
この日お願いします。って予約する感じなんやけど、
殆どの人は、予約の日が近づくと予約を先に伸ばすんだって。
終わりが決まると、沢山の欲がでるんだと思うなぁ。
あの人に会いたい!
あそこに行きたい!
あれが食べたい!
もう一回桜が見たい。とかね。
慎太郎は実くんと共に故郷に帰ってきて、みのりの森に遺書を埋めて、故郷の誰にも会わず、2人で東京に帰ってきて、実くんを車から下ろして、
さぁ良いお天気だなぁ。
今日は何しようかなぁ。
って人生を終えたんだな。
故郷で昌典くんに会っていたなら
あそこで実くんが車を降りなければ、
東京に行かなければ、
と生きている側は、いくらでも たられば が出てくるけど何を持ってしても、慎太郎の死との戯れを止めることはできないように感じたな。
昌典くんは遺書についても、こんな明日にでも帰ってくるような手紙!って嗚咽するのだけど、
きっと、死ぬ理由が箇条書きされて、こうこうだから、死にますよ。って言われたとて、到底納得できないと思う。
そんなんで死んだらあかん!ってなるやん。生きてる側は。
だから、やっぱり、自分にとっての大切な人が、盛大に手枷足枷にならなきゃいけない。
死ぬより辛い思いをする人がいるということを心に刻み込みまくらないといけない。
昌典くんと実くんはがっちりとお互いの生への足枷になって、しっかりと地に足をつけて前に進んでいってるのがすごくいい。
よかったな。この御本。